2016年合格者の声

 お知らせ  2016年合格者の声 はコメントを受け付けていません。
3月 152016
 

2016年度合格者の声

2016年度合格者の声を「144字で述べよ」という形でいただきました。(書きたいことはたくさんあったようで,字数を超えているものもありますし,原稿用紙なども渡していないものですが,喜んで書いて(話して)くれたものをそのまま掲載します。いただきしだい,随時更新します。)

「努力」
 ながーく、ゆるーく、西荻塾にはほんとに長くいました(笑)。ほんとに最後は努力。これまで努力を重ねて来れたのが勝因です!テレビ出演の東大合格者は変な人たちです(笑)
 ※(笑)が絶えないのでしょう。担当者とご本人と受講生とで対談をしたので,ログを載せられたら載せます(笑)(担当者記す)
(東京大 理科2類 合格者)

直前の支えが私の成長につながった!
 センター試験がボロボロだった私。それでも、先生方は一般入試が近づく中で、少しでも時間が空いていれば、英熟語や小論文の書き方などを教えてくださいました。そのおかげで、私の場合は最後の最後にぐんと伸びました。自分でもはっきり分かるくらいずいぶん調子がよくなり、自信も持てるようになりました。
(東京造形大(デザイン) 合格者)

よき相談相手
 先生との距離が近いこと。これが西荻塾に入って良かったと思うことです。学校の先生よりもぶっちゃけた話をしてくれて、こちらの漠然とした不安や悩みをまるで身内のように真剣に聞いてくれる。そして生徒である私たちと一緒に悩み、解決策を考えてくれる。何度も何度も先生方と相談することで、自分に合った勉強法を見つけることができました。生徒ひとりひとりの個性を分かっていてくれるので、いつも的確なアドバイスを貰えました。本当に感謝しています!
(上智大 合格者)

精神的な支えになりました
 自分のタイプや受験校に合わせて懇切丁寧に授業や勉強法の指導をしてくれるだけでなく、進路の相談、小論文の添削など様々な面からサポートして頂きました。どんな些細な悩みにも親身になって応じて頂き、西荻塾の面倒見の良い先生方が、受験への不安が常に付きまとうこの一年に強い精神的な支えになってくれたと思います。
(早稲田大・東京藝術大 合格者)

西荻塾だから今の自分がある
 この塾の1番の強みは、講師がひとりひとりの生徒を丁寧に見てくれるところです。自分はサッカー部に所属しており、夏まで部活の大会がありました。塾は部活活動を応援してくれ、学習のスケジュールを自分に合わせて作ってくれました。
 相談しながら臨機応変に対応してもらえたのはとてもありがたかったです。また合宿等を通して、受験を共に戦う仲間ができたのも、この塾に入ってよかったと思えた要因の一つです。受験は1人だと本当にきついですが、一緒に頑張ってる友達がいると、自分も頑張ろうという気になります。息抜きによくご飯も一緒に食べました。とにかく生徒も講師もいい意味で(?)濃い関係になりますね(笑)
(慶應 合格者)

手厚さがすごい
 先生方には志望校に似た他大学の過去問を探すことや英作文の添削をしていただき、授業以外の質問でもいつでも受けてもらい、大手では受けられないサポートが合格の後押しになりました。一番緊張したセンター前にどの先生も励ましてくださったこと、夏合宿で仲良くなった仲間ともライバルとして励ましあえたことも大きな力になりました。
(筑波大 合格者)

たくさん話せて信頼できた
 西荻塾で良かった事はこの文に書き切れませんが、私にとっては先生方とたくさん話せた事が一番大きかったです。勉強の内容だけでなく、各人の性格に合った勉強の方法を提案してもらえ、モチベーションを保つ事ができました。信頼できる先生方に指導して貰えたからこそ、よい進路決定ができたのだと感じます。
(上智・早稲田大 合格者)

塾嫌いがいつのまにか(笑)
 少人数だからこそ生徒間の距離が近く「受験を共に戦う仲間」というのを強く意識することができ、それが自分にとっての刺激になりました。先生方もどんな些細なことでも親身になって対応してくださいました。大の塾嫌いでしたが、いつの間にか塾に行くのが楽しみになっていた自分に驚いています。
 いくらなんでもここまで密な塾はないと思います。学校の友人に塾の話をすると驚かれるような少し変だけど、素敵な西荻塾に入ってよかったです。
(東京学芸大 合格者)

支えあってのことでした
 夏休み合宿を終えてから同期の距離も急激にちぢまり、アットホームな雰囲気でよりメリハリのある受験対策が出来ました。
 最後は自分の精神力で乗り切りましたが、そこまで諦めずに頑張ってこれたのは塾の人達の支えあってのことだと思います。
(京都工芸繊維大(建築) 合格者)

2016年西荻塾入試総括

 お知らせ  2016年西荻塾入試総括 はコメントを受け付けていません。
3月 102016
 

2016年西荻塾入試総括

執筆担当:西荻塾大学受験部総括 赤星

backsokatu16
今年の西荻塾生たちも,結果如何をとわず,本気で受験と対峙していました。まずは,そこに最大限の敬意を表したいと思います。

さて,今年も,受験を総括する時期がやってきたかと思うと,1年とはあっという間だなあと痛感します。これは,私たち講師陣が,というよりは,むしろ受験生たちの時の流れにおいて痛感するものであります。ついこないだ,君たち受験生がいよいよ「受験生」として,夏までの一学期間,こうやろう,ああやろう,そして夏までにこうなろう,ああなろう,と一生懸命自習室に張り付いていたかと思えば,いまや,サークルやアルバイトの相談を持ってきたり,おすすめの劇団を「質問」してきたりするのですから。

しかし,この1年の歩みは,ただただ時の流れの早さに驚くばかりのものばかりではなく,受験生たちの成長の早さに驚く1年だったように思います。6月に塾の扉を叩いたときは100点満点で10点台のあの生徒が,卒塾時には80点をかるく超えたり,最後の模試やセンターリサーチまでE判定だったけれど(いや,一緒に絶対に2次試験で乗り越えると信じて頑張ったのですけど),きっちり第一志望の国立大に合格したり,数学ができないと毎日泣き言ばかりの彼が,数学受験で超難関大にきっちり合格したり・・・エピソードはそれぞれ全員に語れば数時間とあるわけですが,その成長の軌跡に目頭を熱くするものを感じた一年であったように思います。
失礼を承知で言えば,今年の受験生たちははっきり言って,1年前,2年前は想像もつかない人物であり,現在の「君たち」に至るまではまあ並大抵のものではすまない,そういう高校生活を謳歌した普通の生徒たちだったように思います。部活を途中でリタイアすることもなく全力でやりとげ,学園祭には全力で汗を流し,とむしろそっちの意味では大変忙しい生徒たちでありました。その意味で,高校生活を受験に捧げたような生徒は一人もいないわけで,「普通の子供たち」ばかりで今年の受験はスタートしたわけです。

しかし,本当に彼等・彼女たちは努力をした。夏合宿が終わって,これまで他人だった隣の子が,別のクラスの子が,一緒に頑張れる友達になった。朝の7時には自習が始まって,夜の10時まで続いた。既卒や現役の壁も関係なかった(合宿に参加した高1まで巻き込んでいるのですから)。仲間がいることは何に付けてもすばらしいこと。授業という空間をもって彼等がそのようなすばらしい仲間たちと知り合えたというのならば,それでこそ西荻塾の存在意義があったと胸を張ります。

さらに,「寝て起きて努力・勉強という生活を経験できたことは,彼・彼女の人生にとって大きな意義があったと思います」「一人では戦えなかったと思いますが,一緒に頑張ってきた一生の友人がこうして塾で出来るとは信じられないものがあります」と保護者の方からお言葉をいただいたときに,西荻塾としてその場を提供し得たことを誇りに思う次第です。

私たちは,この塾の雰囲気を大切にしたいと思います。

最後にゴールテープを切るのは受験生です。が,私たち,西荻塾は,今年以上に,これからも,授業に,自習指導に,「場作り」に,全力で受験生の伴走をつとめていきたいと思います。

もう一度,今年の西荻塾で受験を戦い抜いたみなさんに,その努力の軌跡に,最大限の心から敬意と感謝を込めて。
また,2017年入試も楽しみにしています。

「一緒に悩み,戦う,変な塾」

 お知らせ  「一緒に悩み,戦う,変な塾」 はコメントを受け付けていません。
1月 312016
 

一緒に悩み,戦う,変な塾ですって?

 入塾説明時に,お渡しするパンフレットで,必ず話題になるのが,「一緒に悩み,戦う,変な塾」ってなんですか?というところです。何ですかと問うていただかなくても,温度差があっては困るので強調する箇所です。
 一言で言えば,普通の塾じゃありません,ということに尽きるのですが,杉並界隈(西荻窪という土地がら,吉祥寺も含めましょうか)でいくつもの大学受験塾がある中で,まあ,この塾は普通じゃないと自負しています。
 塾とはいえ,精神論をぶち上げてかすみを食して生き残れるはずはなく,ひとつの個人塾が生き残っていくためには,不断に塾としての質を高めて差別化を図っていくほかないということは耳にたこができるほど言われてきましたし,そこは理解しているつもりです。
 しかし,何か難しいことが必要か,といえばそうではないとも思っています。信念です。

 数学だけ,英語だけ,という具合にクラス授業を選択している生徒たちは,いわゆる塾の感覚からすれば,科目指導にとどまる,というのが普通の塾でしょう。機会の折に進路面談等はあるにせよ,日常授業の際に,選択していない「生物の進捗はどうなのか?ちゃんとリードα解いているのか?え?それじゃ遅いぞ。・・・という風にやってみたらどう?」「世界史の様子はどうだ?なにかちゃんと問題集解いているのか?え?学校のものだけ?そろそろ自分でも平行して勉強を始めないとね!」「●●大では,・・・という傾向の問題がたくさん出るけど,その準備運動として,そろそろ数学だけじゃなくて,センターの過去問を意欲的に解いたらどうって話をしたよね?進んでる?」「そっかー●●やって少し時間かかるか。そしたらどうしようか。」「ベクトルで悩んでそうだね。よし,これを渡すよ!どこでやろうか?」・・・まあない,と思います。
 西荻塾では,日常の風景です。入塾の面談でも,受講希望科目以外の話までぽんぽんと飛ばします。これは,巨視的に大学受験を俯瞰することができなければ科目指導も無為に帰する,というポリシーに基づくもの。もっといえば,とにもかくにも,大学受験は自習が自律かつ自立できてこそ,合格が見えるものという信念に基づくものです。大学受験指導においては,そもそも科目の垣根など存在しない。最後は科目なんて関係ないのです(もちろん,踏み込んだ科目に関わる部分については,専門とする担当講師をその場で呼びますよ)。
 そうだとすれば,受験生と一緒に指導者側も十分に悩む必要があり,そして,一緒に戦わなければならない。チーム医療という言葉がありますが,西荻塾もそれぞれの科目を担当する講師や全体を見回す講師がチーム講師となって一人ひとりの生徒を支えます。

 もっとも,手取り足取り,という甘やかしのつもりはありません。自ら定めた目標の下,例えば12時間の努力をすると決めたのであれば,ゴールに向かって走るのは受験生であり,私たちがいくらじたばたしても距離が伸びるわけではありません。そうじゃない。マラソンを例にだしましたので,例えていえば,私たちが目指しているのは,伴走「白バイ」です。
 マラソン大会の伴走白バイは,厳しい訓練によって磨かれた高度な運転技術と的確な判断によって,裏からランナーを支える貴重な存在です。
 私たち,西荻塾の講師陣は,受験生の伴走白バイとして,受験生に気持ちよく走り抜けて欲しい。そのためには,授業のスキルはもちろん,複合的視野に立って随時受験生の悩みを聞く。一緒に悩んで道を切り開く手助けをする。最後は,主役は受験生。すっと空気のように表舞台から我々講師陣は消えます。そういう存在であれたら,と日々一生懸命取り組んでいます。

 悩みとは成長の証なりき。一緒に悩み,戦っていきましょう。

2013年東大合格者との座談会(後編)

 お知らせ  2013年東大合格者との座談会(後編) はコメントを受け付けていません。
1月 312016
 

東大合格者との座談会の続きです。

第2回目は「絶対安定科目を作れ」です。
登場人物は,W君(東大合格者)・T君(在塾生)・赤星講師です。

(W君)得意な科目はあるの?
(T君)強いて言えば数学でしょうか。
(W君)絶対この科目は,最悪でもこれだけ取れる,という科目が数学ということ?
(T君)数学ですから,まだ波があります。
(W君)僕は理系だけど,英語(東大は120点満点)で絶対の安定を取った。そして,化学と物理は絶対に40(東大では,それぞれ60点満点です)を下回らないようにしていた。数学は,それらに比べれば,自信があったわけではないので,高めの目標を設定するというよりは,英語・物理・化学で160点を取ることを絶対とするように心がけていた。
(赤星講師)今年の合格基準点を考えると,W君のセンターから考えて・・・ああ,210点以上(東大は,2次試験440点満点です)取ればいける計算になるよね。そうすると,残った国語(80点満点)と数学で50点(120点満点)以上取ればよいってことになるね。
(W君)そうなんです。必要な点数から逆算して,この科目でこれだけ確保する,という具体的なシミュレーションが重要です。理系で英語が弱くて,数学を頼みにしている連中は,「最低3完(東大数学では,全部で大問が6つで,大問1つを正解とすることを1完という)」とか言ってましたけど,東大の数学は本当に難しい。本番,何が起こるかわからない。とすると,数学に絶対の自信がある場合を除いては,絶対に他の科目のうちからこれだけは確保するという科目を作るべきです。
(T君)・・・そう考えると,まだない(笑)
(W君)もちろん,数学が得意というのは東大理系なら十分に勝てる理由になる。でも,僕は,センター終わってからの1ヶ月は,英語と物化の安定科目を絶対安定にすることしか考えていなかったけどね(笑)。
(赤星講師)これ,東大文系でも同じことが言われる。東大文系なら,英語に加えて,数学が80点で国語が120点,社会が2科目(地理・日本史・世界史から2科目)となっているけど,受かる文系パターンは,国語70,英語80,社会70で,あとは数学でどれだけごまかせるか,という感じになる。最近は,文系だと2次では230が必要と言われることからすると,うん,確かに2科目ほど安定科目があると格段に楽になるよね。
(W君)文Iでも,数学0完(もちろん,部分点でいくらかは取れている)でも,受かる人いますからね。
(赤星講師)自分は,英語がとにかく苦手だったので,英語50でも受かるように,社会80,数学2.5完(東大文系は大問4つ)必須を前提に組み立てていたけど,これはいけないパターンですね(笑)。でも,数学は2問は取れる自信持ってたし,社会は絶対落とさない自信があった。
(W君)英語が安定科目だと最強ですけど,やっぱり理科・社会じゃないですか。受かっている人の傾向から見て。
(T君)あまりちゃんとやってない・・。学校もなんかつまんないし。
(W君)つまんない授業のせいにしてる人,多いよね。つまんないけど,これだけ重要な科目もない。じゃあ,どうして自分でやるという選択がないのだろうか。そこ不思議です。
(T君)だって,うちの学校,ほんと社会の先生つまんないですよ?化学だって・・・。
(W君)学校で,いい授業に巡り会えたなら,それは幸せなこと。巡り会えなくたって,他に勉強の仕方を聞いたりする環境があるじゃないか。それは,先輩でもいいし,塾の先生でもいい。学校の授業のせいばかりにして,やらない言い訳になっているだけなんじゃないか?
(T君)そっか・・・。言われてみればそうですね。授業聞かずに寝てますもん。
(赤星講師)それを本末転倒という。
(T君)じゃあ,塾でだけ授業みっちりやれば受かるってことですよね?
(赤星講師)ほう,学校を捨てて,全部塾でやるというのか。そりゃあ,大変な受講料になるなあ・・・。俺らは朝から晩までつきあってあげてもいいし,塾で缶詰にしてもいいけど?お前さんが頑張って新聞配達して塾の費用を払ってくれるのか?(笑)
(W君)塾とは,限られた時間の中で,必要なことと必要な方法を学ぶ場所。あと,それをいかに活かしていくかは自習にかかっていると思うよ。塾では十分いろんなこと聞いてるじゃん。今も(笑)。
(T君)あーいえばこーゆーで申し訳ありませんでした。

※コメント
「いい授業に出会えたら,それは幸せなこと」。

2013年東大合格者と在塾生の座談会1

 お知らせ  2013年東大合格者と在塾生の座談会1 はコメントを受け付けていません。
1月 312016
 

本年,当塾から東京大学(理科II類)の栄冠を見事勝ち取った生徒さん(W君)が当塾に訪れ,将来後輩になりたいという塾生(次年度より高校2年のT君)が声をかけ,即席の座談会が開かれました。その際に,塾生を始め,受験生(東大志望者に限らず)の皆さん有益と思われるやりとりを抜粋してここに掲載いたします。是非参考にしてみてください。
長時間に及ぶ座談会になってしまいましたので,2回に分けてお送りします。

第1回は,「2週間で1冊回せ」です。

(塾生T)英語が思うように伸びずに悩んでいますが,今,ネクステージ(桐原書店の英文法問題集)を始めからどんどんこなしています。しかし,一つ一つ丁寧にやっていると膨大な時間がかかって疲れてきました(笑)
(W君)2週間で全部まず回してみることじゃないかな。
(塾生)えっ?2週間でなんてとても終わりませんよ。
(W君)いや,ちまちまとやっていても,先が見えない。まずは,とにかくガンガン1周すること。丁寧にやっているようで,実は無駄が多いことがしばしばある。短期間で,とにかく1周する。知らなかったことや,分からなかったところには復習のために付箋をつけるなどしても,とにかく,ガンガン進めるんだ。
(塾生)それで頭に入るのですか?
(W君)まずは,1周やってみて,テストまたは付箋をつけた部分をもう一度復習するんだ。テストしたら,意外と頭に残っているもんだよ。そうやって,何周もハイスピードで回す。もし,丁寧にやったとして,少しは正答率があがるかもしれないけど,膨大な時間に辟易して,いやいややった場合に,そのかけた時間は本当に有益だったといえるだろうか?もしくは,悲惨なパターンとして,丁寧にやったのに,あまり頭に残っていなかったとか,やることに疲れていやになったとか,そっちのほうがかけた時間は無駄だろう?それよりは,1周目がたとえザルだったとしても,2周,3周でどんどん拾っていけばいい。スピーディにやることで,飽きがこないし,何度も回せて,残るものは多いと思う。
(赤星講師)そうやね。これって世界史とかでも言えることだけど,最初からあまりに丁寧にやり過ぎて,例えば四大文明をこれでもかというほど真剣にやって,ローマ帝国あたりで疲弊して,飽きてやめて。また,やばいと思って四大文明から。しばらくご無沙汰だから四大文明の抜け落ちから完璧主義でやる。そうやって,四大文明マスターは形成されるんだけど,他が致命傷,みたいな・・・(笑)とにかく,通史を一気にやることってのは社会の基本学習姿勢だと思っている。それと同じことだね。
(塾生)じゃ,どのくらい回したんですか?
(W君)8周だね。2週間で。8周やって頭に残らないなら,その問題集は君にふさわしくない,他にふさわしいのがあるからすぐに切り替える。そうやれば無駄はないじゃないか。
(塾生)えー8周もやるんですか!
(W君)周を負う毎に,どんどんかかる時間は短くなる。ネクステージは300頁?とすれば,最後のほうは1時間で回せるぐらいになる。8周でそのレベルに達しなければそれ以上の取り組みは無駄だということ。
(赤星講師)そのときは,別のやれ,だね。私も,受験生時代は,ホントに英語で苦労して,学部生時代にもういちど院試のために英語が必要になったとき,1週間で1冊仕上げ,それでダメなところを徹底して毎日つぶして,10日間ぐらいで一気に力をつけた記憶ある。集中してやっている10日間は,その問題集に疑問を持たずにとにかく信頼してやった。あとで教育的見地から,この問題集はあーだこーだ文句つけたい部分はあったにしても,まずは目の前のパートナーを全面的に信頼する,スポンジのような振る舞い,というか謙虚さは大事だよね。どんな問題集だって,売れているのであれば,それなりの信頼性はあるということだから。
(W君)そうですね。これ,どんな科目でも同じだと思いますね。特に,高2ともなれば,そこで東大に合格できるかは決まる。その間に,どれだけそういう資産を築きあげていくかでしょう。8周した問題集は,間違いなく脳細胞になりますよ。

(赤星講師)というわけで,じゃあT君,ネクステ来週までね。

・・・・赤星講師の事後談。
詰め込みは悪だ,という論調がありますが,学習の基本はまず,詰め込みだと思います。
かけ算の九九を闇雲にでも暗記できたように,なんらかの学問に接する上で,最低限の知識を詰め込んでおくことは,土台を築く上で大変重要なこと。W君の手法は,そのためのスパルタ戦法の一つでしょう。でも,このくらいのガッツがあったほうが頼もしい。
もちろん,大学受験のレベルになれば,単なる闇雲はまずい。しかるべき指導を仰いで,そのもとでやるのがもっとも効率よく成果が上がると言える。無駄なものを2週間8周してもまずい。その辺,どんどん相談してもらいたいですね。最後に,それをやり遂げるかどうかはあなたの精神力ですけれど。

東大理学部生からのメッセージ

 お知らせ  東大理学部生からのメッセージ はコメントを受け付けていません。
1月 312016
 

長らく大学受験を担当していますと,あと一歩のところでくすぶる諸君に共通していえることは,読解力,すなわち国語で養うべき力の欠如が原因にあるということが見えてきます。

当塾では,理系で,受験科目として必要でないから,センターのみだから,という子には,中間学年において特に折に触れて「国語」の授業を行うことがあります(たとえば,講習会などで,英文を含む自然科学系の文章の読解講座や数学の問題であっても相応の読解力・論理力を問う問題など)。「ガチ」で理系の皆さんに,受験科目でもない「国語」の授業をすることはいたしませんけれども,国立大学が視野に入るのであれば当然国語は受験科目となりますし,私立か国立か,まだ双方の可能性を秘めている中間学年においては,是非,国語の授業を通して読解力を養成していただきたいと思います。

以下,東大理学部の学生がかつて寄せてくれた論考です。一読ください。

「国語は受験科目ではないから勉強する必要はない」(理系)
「国語は後回し。あまり勉強する必要性を感じない。」(文系)
そう考える人がいますが,これは大きな間違いです。ある程度の国語の力が無ければ,たとえ国語が受験科目でなくとも,受験を乗り切ることなどできません。国語の力とは,文章から論理を読み取り,自らの手で論理を組み立てる力だと言い換えることができます。国語の問題を解くときには,正確に作者の意図を読み取り,またそれを自分の言葉を使って再構築しなければいけません。このようなとき,必要不可欠となるのが国語の力です。
これは全ての教科の基盤をなすものであるといえます。たとえば数学や理科の問題を解くにしても,問題文から必要な情報を正確に読み取ることができなければ,問題を解くという土俵に立つことすら許されません。また,読み取った問題に対して,どんなにすばらしい解答を頭の中に思い描こうとも,それを紙の上に表現することができなければ,無意味というほかはありません。端的に言えば,数学の勉強だけでは数学ができるようにはならないし,理科の勉強だけやっていても理科ができるようにはならないのです。たとえ苦労して知識や解法を頭に詰め込んでいったとしても,国語力という土台がなければ,それを十分に使いこなすことはできません。ある程度までは成績が伸びるかもしれませんが,いつかは頭打ちになる日が来ると断言します。
受験が近づくにつれ,国語が試験科目でない人は特に,国語に勉強する時間を割くことが難しくなっていきます。チャンスは今しかありません。たとえば空いた時間に本や新聞を読むだけでもよいのです。そういった少しの努力の積み重ねは,あなたの背骨となり,あなたを支えてくれるに違いありません。

上位校は「国語」で決まる

 お知らせ  上位校は「国語」で決まる はコメントを受け付けていません。
1月 312016
 

文責:赤星(国語・数学担当)

おことわりしておきますが,当塾は全科目を大事にする塾ですので,「国語塾」ではありません。
ただし,いわゆる難関大学といわれるレベルを志望する塾生たちも多数在籍していますので,この際,現代文の講師として,また,数学科の講師として,思うことを述べておきたいと思います。

「国語で点が取れることと,上位校に合格することには,強い正の相関がある。」

いまでも,
「英語が受験の勝敗を左右する」

と言われることがあります。かつて,90年台頃までは,それを全面に押し出す英語専門塾も多数ありました。いや,まことに「その通り」であります。英語の点数が理系,文系問わず合否を左右することは間違いのない事実,当塾でも,英語はしっかりと教え込みます。

ただ,誤解している人がいます。
「英語『さえ』できればいい」
受験生の間でちらほらと聞こえてくる残念フレーズの1つです。

さらに,もう一つ,聞いたことがありそうなフレーズをどうぞ。
「国際社会においては,語学能力に長けたグローバルな人材こそが必要とされる・・・」
やはり,こちらも誤解している人が多いと思われます。
「やっぱり『語学』さえできればいいのか」
これは,受験生に限った話ではないですが,やはり残念フレーズです。

回りくどいのは文章を読む方も,書く方も面倒くさいので,ズバリいいますが,
「英語さえ,語学さえとは誰も言っていない」

いわゆるMARCHの英語長文の日本語訳を読んでみてください。
その後,早稲田や慶応,難関国立大の英語長文問題の日本語訳を読んでみてください。

前者であってもさることならがら,いわゆる難関大学の英語の文章は,日本語訳を読んでも,国語力に加え,一定程度の教養を要求してきます(もっとも,あえて厳しい言い方をすれば,日頃ニュースや新聞に接している者からすれば常識の範疇に入るレベルにすぎません)。

ここで,仮に訳文を読んで,何を言っているのかわからないような基本的な「国語の読解力」,「日本語の語彙」が習得できていない者は入学資格において想定にないことがわかると思います。

ちょっと,ここで脱線します。

いわゆる「自由英作文」を課す大学が増えてきました。難関国立大ではあたりまえのように出題されます。

かつて,東大受験をテーマとした漫画がドラマ化され話題になったことがありましたが,そこでは,「東大の英作文は,簡単だ。東大は,減点法で採点をしているから,中学校1年生のレベルの英文を使って,とにかくミスのない英文を作れ。」と言われていました。
ドラマ全体を通せば,もっともなことを言っているところも十分あって,おもしろく拝見させていただいていたのですが,上記自由英作文についてだけはおそらく(演出の都合上ということを恐れず言えば)東大が受験生に要求しているところではないと思われます。

そもそも,筆者が実際に東大で仕入れた情報によれば,確かに,ミスによる減点はあるが,やたらミス無し至上主義といわんばかりに強調されるほどの比重はないと思われます。
(テレビでは,「英文法ミス1個で1点減点,5点の問題で5個間違ったら0点」とか言っていましたが,これは,私が東大在学中にリサーチした確かな筋からの情報により,完全な誤りであると断言しておきます(どのような採点がとられているかの情報は入ってきていますが,それによってなにか秘策と呼べるようなテクニックうまれるわけではないし,結局は,良い英作を書く能力を身につけた者が高得点を取るということです)。あえて言っておけば,内容点に準ずるものは(結構な比重で)必ずあるし,あまり機械的な採点にはなっていないが,採点者間でばらつきがなくなる工夫はされている,ということです。

この点は,さておくとして,もちろん,文法的に誤りのない英文を作ることも採点基準の一つにはなっているでしょう。しかし,英語とて言語です。何か,メッセージ性のあるものを表現する能力こそが言語力の根幹と考えれば,英語における表現能力こそ自由英作文で試されているのではないかと思われます。ここに当然,採点の比重は重く置かれていると解すべきでしょう。

そうすると,中学校1年生レベルの英語で,確かに日常会話程度なら可能でしょう。しかし,以下の問題に中学1年生レベルの英語(これはテレビの演出上と善意解釈した上で,中学生レベルの英語と考えたとしても)で記述することが可能でしょうか?

たとえば,2003年の東大の自由英作文では,
「アマチュアスポーツチームの監督の訓話(注:摘示略)を読んだ上で,「雨降って地固まる」という文章中の表現について,字義どおりにはどういう意味か,ことわざとしては一般的にどのような意味で用いられているか,さらにこの特定の文脈の中でどのような状況を言い表しているかの3点を盛り込んだ形で60語程度の英語で説明せよ。」

ほかに,90年代の九州大学の問題では,
「18才以上に選挙権を与えるべきかどうか,100語程度の英語で論じなさい。」

大阪大学では,
「人と良い関係を築くために必要なことは何だと考えますか。そう考える根拠は何ですか。あなた自身の経験やエピソードを具体的に示しつつ,200語程度の英文で表しなさい。」
上記大阪大の問題は,日本語200字程度で作文を書かせても,巧拙ありそうですね。

では,上記大阪大を例にとってみて,2通りの受験生がいたとしましょう。

 ア)中身を伴った内容になっているが,若干英文法ミスがある。
 イ)ミスはないが,中身がスカスカ。

どちらが,将来有望ですかね。皆さん,考えてください。
いやいや,イ)のタイプの生徒だって,別に中身を考えられないわけじゃないんだ。ミスのないことに気を配ったらそうなっただけだ。という反論も上記テレビの監修者からは飛んできそうです。
しかし,受験生は,答案ペラ一枚を通じて大学に自らの能力をアピールせざるを得ないわけで,採点者が「こいつ,表現力(英語力)ないなあ。もしくは,薄っぺらい受験生なのかも。」と疑問を感じたとして,それを反論する機会はない。
 繰り返し言いますが,中身があるのに,ミスがいくつかあるから低得点になるとは限らない。むしろ,中身に相当の比重が置かれています。とすれば,最初から,ア)で受かるように精進すべきです。

少し,脱線が長くなりました。
要は,英語の試験であっても,その背景にあるのはあなたの国語力です。日本語でものを考える環境に生きている以上,あなたの発想はまず,原則として,日本語に支えられています。それが薄弱であれば,上記英作文の例ではないですが,どんなに実用英語ができたとしても,難関大学においては,少なくとも「点のとれる」答案は難しいでしょう。

これは英語に限ったことではありません。

国語力とは,あなたが知的作業を行う根幹をなすものである以上,上位校に相応しい知的作業を行う基礎学力を図る入試において,国語の問題が解ける以前に,一定の国語力は当然の前提であるといえるでしょう。その意味で,国語力と上位校合格には強い正の相関がある,といったのは,当然の理であります。

西荻塾高校部の原点

 お知らせ  西荻塾高校部の原点 はコメントを受け付けていません。
1月 312016
 

「西荻塾高校部の原点」

 2015年の入試を終えて,(毎年のことながら)その日のドラマを目の当たりしながら,思いを噛みしめたことについて,書き留めておきたいと思います。これから、延々と西荻塾高校部の授業のあり方についての独白が始まりますが、「具体的にどんな授業をしてるのか?」については、別添えにパンフレットを作成しましたので、(こちら、西荻塾高校部総合案内パンフレット)をご覧いただく方がより直接そのニーズにお応えできると思います。
 どちらかというと、この記事は、具体的な方法論を述べるというよりは、西荻塾高校部を一生懸命やるにあたって、どういう気持ちでやっているのか、ということを割と思いのたけのまま述べた文章になります。

 西荻塾の原点は,もともと,某所で開校されていました,高校受験と補習のための個人塾にあります。弱輩大学3年生のときに非常勤講師として受け持たせていただいた,中学校3年生たちを高校受験で送り出す際,こんなに可能性のある連中を,高校受験後そのまま大学受験まで教えきってみたい,ということを当該塾のオーナーに受け入れてもらって,大学受験部として開講したところに遡ります。まずは,当塾の原点とその考え方について,長くなりますが,当時を思い出して,あまり他言はこれまでしてこなかったエピソードを記してみたいと思います(登場する各関係者には許諾済みです)。

 その塾には,当時,もちろん一切の大学受験資料はなく,教材もイチから揃えるところからスタートしました。授業も毎日が手探りで,当時の塾生たちには大変申し訳ないところではありますが,教材こそ授業の10分前にようやく作り上げた誤字脱字だらけの教材を使って,それこそときには「ごまかし」のようなことをしゃべったことも多々ありました。
 しかし,私もそのときにようやく学部4年生。大学院への進学を考えていましたので,日々研究・足りない単位の補充という毎日のなかで,手探りの授業を行っていました。いま振り返れば,それこそ上記の通り,有償で提供するにはあまりに拙い講師業だったと思いますが,私も,当時の高校生と年齢にして4つか5つしか変わらない。そういう距離感の近さ故もあってか,高校生たちとは,教える,教えられるといういわゆる講師と塾生の関係というよりは,それこそ「兄弟弟子」のような関係だったように思います。
 授業時間こそ,90分とか120分とかありますので,こちらも精一杯講義を試みるわけですが,毎回のように納得いく授業ができなくて,緊張と汗だくになっていました。その取り繕いといわれても仕方はないのですが,満足してもらえる授業を提供できなかった分だけ,授業以外の時間帯で,それこそ「先輩」として,自分が受験生であった実体験に基づく記憶をもとに,「後輩」指導(日常学習・自習の仕方)や,ときには彼らが吐露する不安についての相談にのっていたことを記憶しています。
 なかでも,今でこそ酒飲み友達となった男子塾生とは,毎日,15時間くらいともに塾のスペースを使わせてもらい,拙い授業に後輩指導,机を並べて受験勉強,という時間を過ごさせてもらいました。
 彼は,当時高校3年生で,「日本史」の授業を担当することになったのが出会いなわけですが,私は,受験生当時,「世界史」を得意としており,「日本史」ももちろん受験科目でしたが,世界史にはとうに及ばず,のレベル。ましてや学部時代にすっかり忘れきっており,そんななかで,満足な日本史の語りができるはずもない。従って,「授業外」の後輩指導がメインとなるわけです。スポーツマンなのですが,意外に小心者でもあった(バラしてごめんなさい)ので,たびたびそいつを励ますのが日課でした。知識は伝授できない,しかし,方法論だけはなんとか伝えようとあがく。幸い,そいつは非常に素直な性格で,あーしろ,こうしろばかりの私のいうことを,どんどんこなしていく。かくして,ひどい塾講師と勤勉な高3生たちとに,がっちりとした絆ができました。
 それからは,自習に集中する時間は,絶対にお互い邪魔をしない。きちんと時間を守って朝からそれぞれ自習室に入り,私は院試に向けて,そいつは受験問題集を開く。もちろん,授業があり,自習の相談にも乗る。夏を過ぎてからは,そういう15時間の毎日でした。もちろん,上司の先生と彼のご両親の理解あってのことではあるのですが,15時間という時間の中には,三食も当然含まれますので,いつも「あみだくじ」で安い食堂をいくつも候補に挙げては,そこで飯を食い,相談に乗り,バカな話をしたのを良く覚えています。
 私は,秋の真ん中くらいで,なんとか大学院の内定をもらい,一足先に受験勉強から抜けたわけですが,今度は大学院進学後を見こして専門知識を身につけなければならない。指導教官から毎日のように読んでおくべき論文を指示され、研究計画と卒論に励むように叱咤激励がくる。やはり,15時間くらいそいつと過ごす日々は変わりません。
 そうこうするうち,受験期を迎えました。ひどい手探り授業は相変わらずなのに,彼はめざましい勢いで成績を上げていきました。最終的には,彼は首尾良く第一志望の学校に「授業料免除扱い」で合格したのですが,そのときのあいつの顔,そりゃ「イケメン」でした。

 ついつい思い出話が酒のつまみになりそうなのですが,おそらくは,この時間が私の塾指導法,の原点です。うざったい,と思う人もあるかもしれませんが,とにかく,塾生と「受験」について,中途半端ではなく,きちんとした師弟関係を築きたい。こちらを,信頼してほしいし,こちらも,気持ちに応えたい。塾生の成績が上がれば,そして合格すれば,我がことのように喜びたいし,塾生が落ち込めば,こちらも凹む。あいつとは,そういう時間を過ごさせてもらってきたし,その兄弟たちの授業も担当することになったのですが,そうやって接してきました。そして,塾生から信頼してもらうためには,授業を磨かなくてはならない,これをプロ意識と呼んでいいのであれば,プロ意識を持つことを覚えました。

 思えば,今の西荻で小中高を対象とする塾を立ち上げて7回目の総括となりますが,「西荻塾」となっても変わらないことがある。高校部のみならず,全体を通じて西荻塾がめざすもの。

  教え子たちとの信頼関係は,とにかく大切にしたい。
  スタッフと塾生みなが一同に,一体感を失わない場所にしたい。

 すべてを美談的に語ったところで,つまらない話ですし,第三者からすれば,「ああ,そうですか」というレベルなのかもしれません。しかし,私たちの塾は,すべての生徒たちとの強い絆を確かに感じています。
 小中高すべての学年を通して,「この塾でなければ」。最高のタラレバ文句。いかにも,広告宣伝のうたい文句のような言葉ですが,実際に,面談や,卒塾のたび,このタラレバ文句を塾にいただけたこと,これは今年も塾生たちとしっかりとした絆を築くことができたという証左であろうと考えています。
我々は,第三者からなんと言われようと,これが西荻塾の誇りとするところであって,熱くなる胸はしっかりと張るべきであると自負しています。

 さて,本年度入試は,改めて私たちの原点を再認識したし,何らかの形で文字に起こしておこうと思った,そういう「そのとき」だったと思います。
ありがたいことに塾生数が増えてきて,反面ちょっと寂しいのですが,なかなか私たちが全員の生徒の授業を担当できる状況ではありませんし,この記事を書く私は化学とか物理はもうちょっと分からないです。得意だった世界史も全部忘れました。

 今年は,塾内組織の再編もあって,特に授業に携わる時間も減りました。
 ある程度,塾内をきちんとした組織にし,「安定し,円滑な塾業務が行えるように」といういわゆる経営判断的な部分はあって,授業以外でばたばたしている時間も2乗に比例して増えてきました。

 もちろん,信頼の置ける,そして私なんかよりももっと良い授業と指導ができる講師がたくさん育ったのも今年。そこで,私は,授業を減らすというオプションを選択しました。

 しかし,今年,思い切って授業数を減らしてみて,けっこう寂しい。ものすごく寂しい。

 どこまでも,授業屋なんですよね。おせっかいかもしれないけれど,やはり生徒と接する時間を欲している。

 じゃあ,なんとか授業時間外で,きちんと塾生の顔を見てあげることはできないか。
 そこで,1月に入ってからは,ともすれば夜型の塾講師が多いところ,無理矢理朝方に変え(途中で体調崩すハプニングつきで)受験生たちと接する時間を長く取りながら仕事をこなすことにしました。13時頃に出勤して,「やあ,皆の衆,がんばってるね」といわんばかりに挨拶して,かかえている授業以外の業務に没頭して,24時に退勤するスタイルを,朝の8時30分からに改めることにしました。
 朝から受験生を自習室で迎え,授業はせず,コンプライアンス関係の仕事や渉外をやりながらも,しかし,ときおり塾生たちのもとへいき,随時相談に乗る。午後は,みなみなが授業に出席してしまうので,授業のない朝に,「授業を持たない」担当講師に専念することにしました。

 授業外の時間で,全員に挨拶をして,休息時間に一緒に話して,ときに,表情の硬い子をほぐす。ときにみんなでギャグを言って笑って。生まれつきのドジで,ときどき本棚にぶつかって結構痛がって,こけそうになって「不吉」だと非難を浴びて,「かわりに俺がこけている」と切り返して。そして,それぞれが本気で集中して。

 そういう毎日を過ごすようになって,入試本番を迎えました。直前に不安を共有し,直後にともに喜び,逆に,思いっきり一緒に凹む,という時間を共有させてもらう,格別な時間の到来です。
彼らとのつきあいは,それこそ小学5年の「クソガキ」時代から知っているやつから,今年からの受験生まで,長短様々なのですが,そんなの関係ない。とにかく,全員に対して格別なひとときを迎えることができました。

 そして,何よりも,そのような時間を受験生と共有しようとするスタッフ一人が増え,そしてまた一人増え,という流れができたことも,講師側の人間として,とてもうれしく思いました。
 (労基法上の制約もあるので,ブレーキもかけますよ笑)
 それでも,頼んでもいないところで,入試当日に朝から受験生を励ましに行くと名乗り出てくれるスタッフが出てきたのには驚きました(普通は大学受験生に「入試応援」は考えていません・・・こちらも,労基法関係の調整で苦慮しました笑)。

 そんな中で,では,西荻塾スタッフが特別にやってきたことは,何ですか?と問いを発してみます。上記の話?

 強いていえば,中高通して,「教室のやりくり」でしょうか。
 中高30名前後が一同に上述のような状況になると,地獄の「教室のやりくり」です。あの教室なら今日は空いているからそこ。でも,そこで補習が・・・毎日,涙目の教室配分でした・・・

・・・うーん。持ち回った言い方をしようかと思いましたが,面倒だし,ここまで読んで下さる人がいるかも分からなくなってきたところですし,それはやめましょう。

 授業を持たない日でも,そして授業を担当していなくても,絶対に,生徒たちとの一体感は失わない。一緒に戦う。

 そんなの塾じゃない。「変な塾だ。」

 特に,大学受験塾や大手進学塾のスタイルからすると,授業のことを書かない時点で本当に変な塾かもしれません。そして,文字で塾の雰囲気が描かれているにもかかわらず,幾分,うざったくて,暑苦しい感がある。絆,信頼,これが塾のコメントに頻繁に出てくるものか。学校ではなく,所詮塾ではないか。

 もちろん,組織を,大きくしてみたいという野心がないといったら嘘八百になります。そのためには,感傷に浸っているばかりではいけない。実業家やビジネスマンから叱咤を受けそうです。しかし,ビジネスはビジネスとしてでも,私はそれだけで人は動かないと思っています。特に西荻塾は。

 崖の上のポニョの舞台となった広島県の「鞆の浦」周辺を巡る再開発の行政差止訴訟においては,環境弁護団の活躍が光りました。第1審で画期的な差止決定が下り,現知事は予定されていたプランでの再開発を凍結するにいたりました。
 事件を担当した弁護団は,日当や旅費も受け取らないと聞いています。もちろん,生活はあるから,そればっかりというわけではない。しかし,信念や正義感に素直に従う日々があっていい。

 今年の西荻塾も同様で,信頼や絆に素直になって動いてきたように思います。しかし,これが特別なことであるのか?特筆すべきことか?迷いはぬぐい切れていないまま文字におこしています。

(もちろん,労働従事と信頼や絆に素直に従うことの線引きが非常に難しい職務であると思いますから,全面に絆や信頼を打ち出してその大義名分のもとでタダ働きをさせてしまうことは,それこそ「ブラック企業」になってしまいますので,結局は,労基法の対象外たる塾の責任者たちが踏ん張るか,しなくていいと説得しても,いやいや我こそは!と名乗り出る頼もしいスタッフに集約されることも多いわけですが・・・)

 確かに,すでに,卓越した自己管理能力を持ち,自ら意識的に学ぶことができる子,います。高校生ともなればなおのことでしょう。
 大丈夫。そういう子は,大手の予備校,マスプロ授業であってもやっていける。
 そして,もちろん,塾の使命は,受験指導であって,それ以上でもそれ以下でもないのも承知ですから,生活指導とか精神修行など考えていません。

 しかし,「受験」に特化しても,受験について,ともに笑って凹む日々は,あっていいんじゃないでしょうか。在学校も,志望も,文系理系も違えど,受験生が,そしてスタッフたちが運命共同体になることはそんなに不自然な流れでしょうか。

 個人塾・・・千差万別です。しかし,こういう個人塾があっていいように思うのです。変な塾でも。
かつては,もう少し経営効率のよい個人塾を考えていましたが,まあ今のところ,あまり良くないのも事実です。高校部だけでもこうなのに,中学部までそれをやられると,会計監査人から文句が出ます。出ています。

 しかし,西荻塾とは,やっぱりそういう「変な塾」であります。それ以外で,変なところは,少しずつ,改めていくつもりです。まだまだ「未完の小器」だと鼻息は荒い。しかし,「変な塾」であることは,申し訳ないがやめようとは思っていません。

 「なつかしくて,西荻に寄った。ケーキ屋でバイトを始めたんだけど,売れ残りのやつです。みんなで食べようと思って。」←うれしい。
 「バイト決めたいんだけど,何がいいですか?」←えーーーっ?わかりません。
 「ミクロ経済学の需要の価格弾力性がわかりません。先生!教えて!」←1%価格が・・・(いや自分でやって!)

 とりあえずですね,いい加減卒塾しろ!大学生だろうが!と思いつつ,ああ,これがうちの塾だ,と思うわけです。

 今年も,「変な塾」その意味において,反省のない,2015年入試であったと思います。
 もう一度,卒塾するみなさんに,心から敬意と感謝を込めて。

現代文の「テクニック」?

 お知らせ  現代文の「テクニック」? はコメントを受け付けていません。
1月 312016
 

 執筆は,赤星(数学・現代文担当)です。
 先に申し述べますが,テクニックを解説した記事ではありません。どうぞよろしく。
 さて,直前期になると,売り上げを伸ばす本があります。直前期に限ったことではないのですが,「いわゆる選択肢を選ぶテクニック」をある特定の年度の設問をいくつか取り上げて分析するもので,200ページあるかないかなので,1,2日もあれば通読できるものです。

 私も,何冊かそのような本を通読していますが,結論から言えば,そこにちりばめられたテクニック自体は至極真っ当なものであると思っています。
 もっとも,そのテクニック本(マニュアル本とも)のみで,本番に挑んで高得点が期待できるかは別問題(むしろ危険すぎる・・・)です。

 そのような本に記載されたちょっとしたテクニックは,いわば「特定の過去問」から帰納的に検証されたものにすぎないものも含まれている,からです。
 *帰納的という言葉がわからないひとは,辞書を引きましょう!
 (「数学的な帰納」とはちょっとちがう・・・本質は同じですけど,現代文における「帰納的」ということばのとりあえずのイメージはとっても大事ですよ!)

 たとえば,「・・・・というような選択肢は危険」であるとか「『すべて』・『例外なく』という限定の強い選択肢は切り」とかがさも一般的に成立するような書き方になっているわけですけれども,一般的にそのような命題が常に真であることの証明は不可能です。もちろん,「そのような命題が常に真であることの証明が不可能である」ということの証明もまた,悪魔の証明であり,証明が不可能なわけであり,これもまた帰納的にならざるを得ないのですが,「この本文によれば,『すべて』という限定を付すことは矛盾しない」というパターンは無数にあるわけで,結局は,問題文による,としか言いようがなく,敢えて「テクニック」として提示するのであれば,「限定の強い選択肢が本文と矛盾しないかをきちんと検討すべきである」程度のことしかいえないのが事実です(屁理屈じみてきましたが,ここは大事なところだと思っています)。

 それなのに,編集の都合もあるのでしょうが,太字の強調体で四角囲みにして「限定の強い選択肢は切り」とか書かれると,本来的には,例題として取り上げられた文章においてはそうであるにすぎないのに,いかにも,すべての現代文の文章に適用が可能であるかのような印象を与えてしまい,神にもすがる思いの受験生がそれを鵜呑みにしてしまう,という非常に危険な状況を生み出しかねないのです。このような懸念が,一般的に言われる「小手先に頼るな」という警鐘に象徴されているといえるでしょう。
(わかりやすくいえば,そういうテクニックは,「特定の過去問」には当てはまるけれど,そして,そのテクニックを紹介する以上,もっとも適切な「特定の過去問」を用意したであろうけれど,他の文章にそれがあてはまる必然性は,全くないということです)

 もちろん,「傍線部(周辺)の指示語に注目すべき」「逆接に注意」「対比を読み解く」のような,一般化が可能なテクニックもきちんと掲載されていますので,テクニック本に記載されていることを鵜呑みにするな,というわけではありません。
 しかし,そのような「一般化が可能な(それを受験生が適切に判断できるかも微妙なところではありますが)テクニック」はもはやテクニックというより,正確に文章を読むセオリーそのものであり,これがまた一朝一夕では使いこなせないというのが現実なのです。
 (実際には,そういうセオリーを制限時間内でなんとか使いこなさなければ高得点はとれないのですから,相当の訓練が必要ですよね。)
 そう考えると,センター現代文はこれだけでなんとかなる,とかそういう甘い香りのするテクニック本のみを直前に通読して,解ける気になる,と思ったら大けがをするでしょう。

 現代文の授業においては,毎回異なる文章を読んでもらい,設問の解説を行います。その解説の仕方は,講師によって様々ではありますし,本文全体を深く読解し,味わうような解説のスタイルもあると思います。
 高校2年くらいまでは,ある程度語彙力や教養をしっかり身につけることが骨太な国語力を育てるという信念がありますので,私も,なるべく本文を味わう時間も作っています。
 しかし,限られた講義時間のなかで,まずもって主眼に置くべきは,正確に文章を読むセオリーの運用能力(ときどきテクニック的なこと,しゃべりはします)をひたすら訓練していくこと。大手の予備校のように映像設備を駆使して授業が出来れば楽しいと思いますが(そこまで意欲的な講師の方は,いま,飛ぶ鳥落とす勢いのあの人くらいかな?私は大ファンなのですが),なかなか当塾規模だとリソースの限界もあるので,私は手前があらかじめ問題を検討し,いろいろメモを取った(草稿?キタナイ?)課題文をそのままメモのまま資料として配布し,生徒たちに一緒に色をつけたり線を引いたりしてもらいながら,できる限りその訓練のお手伝いをするようにしています。
 (なお,正確に文章を読めるようになってから,本文を味わったほうが理解も進みますし,短時間で味わえるようになるのも経験則としてあります。)

 結局のところ,テクニック本はその手助けにはなるかもしれないが,現代文,ひいては国語力の養成とは,「読むスピードをつける」「語彙を身につける」「読んで考える力を養う」ひいては,「正確に文章を読む」能力を時間をかけて粛々と磨く以外にない,と私は思うのです。

 直前期であたふたしている高校3年生たちにこのような論考を投げかけても,余計なお世話だし,何を今更といわれてしまうかもしれませんが,きっちり現代文の授業を受けてきてくれた受験生たちには,「浮気」しないでこれまで訓練したことを信じて臨んでほしい,というささやかな(いや,心からの)私の願いを,雑記にしてみました。(了)

2016年センター試験コメント

 お知らせ  2016年センター試験コメント はコメントを受け付けていません。
1月 172016
 

【国語】
<第1問:評論>
 第1問は昨年に続き、現代的なテーマ(土井隆義「キャラ化する/される子供たち」)。昨年に引き続き、ずいぶんとすっきりした印象を受ける。序盤はすっきりと読みやすいが、この本文の核心部分は正確な読解と語彙力を試される。もっとも、設問は解答が絞りやすいものが多く、問5において、本文の趣旨を学生の対話形式で選ばせるという新形式もあるが、逆に優しく感じさせた。さらに,問6の形式はかつての2010年形式に似ているが、特段形式によって云々するものでもない。きっちり消去法で対応できよう。
 なお、「やおい」「リカちゃん」「ミニー」など、サブカルジャンルの用語がまたネットを中心に話題となっている。しかし、昨年の「クソリプ」に続き、本質はそこではないので、外野が騒ぐのは好きにしていただき、受験生は着々と読解力を築き上げるように。
 いわゆるオタクが有利というわけでもないから(言うまでもなく)、サブカル造詣に深い必要はない。しかし、サブカルやSNS、ITなど,かつてはそもそも枠外だったものが,入試では普通に出題されるようになった。今更高校生たちに言う必要性も感じない昨今であるが,日頃から活字に限らず,様々なメディアに触れておこう。漫画だって最近のものは,正確な読解力を必要とするものも結構ある。
<第2問:小説>
 ずいぶん心情把握の問題ばかり出たなあという感じであるが,表現の問題であれ,理由付けの問題であれ,まずは「客観的」な心情把握が基本なので,特段目新しさはない。今回は,丁寧な本文の記述さえ追えれば,あとは選択肢を丁寧に消去していくことだ。問1の語句問題は,例年になく平穏である。

 総じて現代文は易化という印象を受けているが,1問の配点が他科目に比して「異常に高い」ので,この程度の難易度で良いとも思うが。

<第3問:古文>
*現在担当執筆中
<第4問:漢文>
*現在担当執筆中

【数学IA】
 出題形式が若干変わって、問題も盛りだくさんになった。第1問の一次関数は初めて?データ分析は気合いをかなり入れて作った模様。昨年は正直手抜き(初年度だから仕方ない?)だったのに比すると・・・学習が浅い諸君は後半で苦労したと思われる。しっかり学んでいればなんということもないが,学校の現場ではパソコン室でエクセルを使わせていい加減に教えているような所も散見されるし、塾としても充実を図りたいところだ。定義・概念からきちんと理解しておこう。
 図形(第6問)と整数(第5問)は、整数の方が楽なのが浮き彫りになっている。もう少し難易度の差を減らすように工夫すべきな気もするが、図形は真新しい何かがあるわけでもないので仕方ないのか。整数の知識的なもの(互除法とかn進法とか)を覚えるのがめんどうだから避けて図形でいく,というのであれば,旧課程、旧旧課程まで遡って演習積む必要はある。
 確率(第3問)は昨年に続き,平穏だ。

【数学IIB】
 序盤,微積・ベクトルは設問の意図は明確なものに戻り,平年並みに戻った。しかし,相変わらず(微積は特に)計算はめんどくさい。ただ,このくらいの計算は,3年間きちんとめんどくさがらずに取り組んできた者なら耐えられる(そうなりましょうね)。
 数列は,群数列が出題され,どこかで見たことがありそうな普通の群数列。・・・だが,どうしてこのような誘導をつけたのだろうか。一般論としては,さまざまな角度から問題を多角的に検討する能力を磨く必要はあるから,通常とは違う方法を別解として学習する意義はあろうが,ちょっと誘導の過程が不親切。もう少し数列の基本をきちんと確認させるような,親切な問題があってもよい(基礎力を試すテストなのだし)。
 数IIBで高得点を取るのはなかなか難しい。過去とは違う問題にしたい,しなければならないという観念を感じる(数IIBは旧課程と範囲に差がないから・・・)。いいじゃないか,素直な出題を繰り返しても,とそろそろ言いたい(あまり試験批判はしたくない)。基礎力を測ることはできると思う。