6月 212018
 

授業をしない塾?!「寺子屋」?!への「果たし状」
(西荻塾の授業のあり方について)

塾といえば,授業をするものです。しかし,ここ最近は,授業をその特色にうたわない塾が増えてきたように思いまして,これは個人的には非常に違和感を覚えます。「寺子屋」とか増えました。「授業をしない」とまでいう塾すら存在する。うたい文句だけでは全然分からないので,結局いろいろと調査をしてみました。

つまるところ,いわゆる「大集団での受け身の授業」=「授業」ということへのアンチテーゼですね。なるほど。
(「授業」をいかに定義するか,ということによっていろんな解釈が可能ですね。)

しかし,授業の定義を如何にするかはさておきとして,大集団での受け身の授業の否定が「授業をしない」ということになるとは思えませんが,授業の良さを全部捨て去ってもなお効果的に合格させるメソッドと自信がそこにはあるのだろうと善意解釈しておきます。塾も様々,多様性もさもありなん,違和感は感じても,否定はできません。

さて,西荻塾はどうしたいのか。そこを再確認しましょう。

「授業でなければ作れない,実現し得ないものがある」と思っています。
(定義:西荻塾の授業は,「ソクラテスメソッド型の授業」としておきましょう。)
塾だけに限ったことではないですが,なんでも内々に「個人主義」になる傾向は,私は古いと言われても,抗おうと思います。「個別指導オンリー」や「個別」に勉強法のみを仕込む授業をしない塾への抵抗はそこにあります。西荻塾は,大人数ではないが,適正な人数の空間で,「授業をする」ことは捨てません。

では,西荻塾が授業で目指すものは何か。
「緊張感」と,「仲間」です。

そんなものなくても丁寧に面倒を見れば,大丈夫だ。そう言われそうです。
しかし,自らの相対化こそ受験でもっとも必要とされる手順であるところ,個人主義でそれが達成できるのか。
(*ここでいう「相対化」とは,「自分がいま,どの位置にいるか。自分の今の歩みはどうかを客観的に評価すること。」とざっくりさせておきます。もっといろんな意味を込めたいのですが,とりあえず必要な分だけ。)
確かに,指導を個人主義的にしても,客観的に講師(塾)がある程度の「相対化を図ってあげる」ことは可能でしょう。模試でも一応わかるのかも?
しかし,そもそも,「相対化を図ってあげる」というほど講師は万能か?(「自信を持て・・・根拠のない自信でもよいから」と言われます。そう思います。しかし,「なんでもしてあげるからおいで」というのは,独りよがりなもののように思えて仕方がない。)

私は,こうした相対化は,仲間との緊張感が育てるものと考えています。仲間と切磋琢磨して磨き上げた相対化の能力をモチベーションがささえれば,人は自立して成長するものだと考えています。
塾の役割として,塾生たちの相対化の「手助け」はもちろん,たくさんの資料は与えます。データの読み方も教えます。経験則もお伝えします。

けれども,生徒たちに備わるべき相対化の力そのものは,結局他者の中での緊張感と他者=仲間との折衷のなかで,一番身についていくものであろうと思います。

仲間とともに,緊張感をもって,自らの解答や思考の道筋を責任もって発表し(出力への責任=答案作成能力の鍛錬),高め合っていくこと。その場は,塾においては,まず授業という空間である。そうした授業を捨てて,個人主義でこの点を補完することは難しいと思います。

西荻塾における授業は,まず全員の生徒への予習の感想戦から始まります。

数学であれば,各設問について,各々の感想を聞くところから始まります。

生徒A「今日は最後までいい感じの解答が出ました!」
講師「お!いくつになった?(ノートを見せてもらう)」
生徒B「方針は立ったのですが,最後の計算が複雑すぎて,最後までいけませんでした。」
講師「ほう,どんな計算になったのかな?(ノートを見せてもらう)」
生徒C「誘導の意図が読み取りにくくて,自分で考えた方法で押し切ってみたんですが,やはりうまくいきませんでした。」
講師「なるほど,うーむどれどれ(ノートを見せてもらう)。では,A君,今回の(1)の誘導の意図はどこ?なぜこんな証明を挟ませたのだろう?」
・・・
講師「さて,あえて誘導に乗らないという選択も実はありなん。その点でC君,どういう方向で押し切ろうとした?」
生徒C「あえてベクトルではなく,複素数で押し切るという形でもできそうな気がしました。」
講師「ではA君に聞くか。その発想でいくと・・・(略)」

このようなやりとりで授業がスタートします。鉄は熱いうちに打て,とはいいますが,一生懸命予習した際の思考過程を追体験すること,仲間の思考過程を設問単位で聞くことで,危機感を感じる子も出るでしょうし,切り口の違いに感銘を覚えることもあるでしょう。このような刺激を不断に体験する場こそ,(放課後は頭が疲れますが)授業というべきものであると考えています。

もちろん,授業では新たなものを習得する場でもあり,ノートを取って一つ一つ積み上げをする場でもあると思います。それは学校でももちろん,予備校や塾等でも実践されていることです。しかし,西荻塾は,この授業空間を,切磋琢磨の空間にしたい。いわば「道場」というなら適切な比喩になるかな,と考えています。道場で己を試し,自主練でこつこつと技を磨き,努力を積み上げる(自習室あります,どうぞいつでも利用可能です)。

講師は,生徒全員の頷きを見て,その場でこの説明で分かってもらえるのか,もっと説明の密度を上げるか,下げるか,このあとどのような課題を追加して習得してもらおうか,授業する側も相当の緊張感をもって挑みます。カリキュラムも教材も,きっちりと準備をして授業を設計しますが,このような道場においては,同じ授業は再現できません。その一瞬一瞬が真剣勝負の場。

授業こそ,塾の生命線である。西荻塾は,しっかりと授業をする塾です。

仮に,授業の趣旨が不明な「寺子屋」塾や「個別専門」塾が西荻周辺で跋扈するようになったら,撤退ではない,「徹底」して戦いたいと思います(笑)

文責:赤星

Sorry, the comment form is closed at this time.