1月 312016
 

 執筆は,赤星(数学・現代文担当)です。
 先に申し述べますが,テクニックを解説した記事ではありません。どうぞよろしく。
 さて,直前期になると,売り上げを伸ばす本があります。直前期に限ったことではないのですが,「いわゆる選択肢を選ぶテクニック」をある特定の年度の設問をいくつか取り上げて分析するもので,200ページあるかないかなので,1,2日もあれば通読できるものです。

 私も,何冊かそのような本を通読していますが,結論から言えば,そこにちりばめられたテクニック自体は至極真っ当なものであると思っています。
 もっとも,そのテクニック本(マニュアル本とも)のみで,本番に挑んで高得点が期待できるかは別問題(むしろ危険すぎる・・・)です。

 そのような本に記載されたちょっとしたテクニックは,いわば「特定の過去問」から帰納的に検証されたものにすぎないものも含まれている,からです。
 *帰納的という言葉がわからないひとは,辞書を引きましょう!
 (「数学的な帰納」とはちょっとちがう・・・本質は同じですけど,現代文における「帰納的」ということばのとりあえずのイメージはとっても大事ですよ!)

 たとえば,「・・・・というような選択肢は危険」であるとか「『すべて』・『例外なく』という限定の強い選択肢は切り」とかがさも一般的に成立するような書き方になっているわけですけれども,一般的にそのような命題が常に真であることの証明は不可能です。もちろん,「そのような命題が常に真であることの証明が不可能である」ということの証明もまた,悪魔の証明であり,証明が不可能なわけであり,これもまた帰納的にならざるを得ないのですが,「この本文によれば,『すべて』という限定を付すことは矛盾しない」というパターンは無数にあるわけで,結局は,問題文による,としか言いようがなく,敢えて「テクニック」として提示するのであれば,「限定の強い選択肢が本文と矛盾しないかをきちんと検討すべきである」程度のことしかいえないのが事実です(屁理屈じみてきましたが,ここは大事なところだと思っています)。

 それなのに,編集の都合もあるのでしょうが,太字の強調体で四角囲みにして「限定の強い選択肢は切り」とか書かれると,本来的には,例題として取り上げられた文章においてはそうであるにすぎないのに,いかにも,すべての現代文の文章に適用が可能であるかのような印象を与えてしまい,神にもすがる思いの受験生がそれを鵜呑みにしてしまう,という非常に危険な状況を生み出しかねないのです。このような懸念が,一般的に言われる「小手先に頼るな」という警鐘に象徴されているといえるでしょう。
(わかりやすくいえば,そういうテクニックは,「特定の過去問」には当てはまるけれど,そして,そのテクニックを紹介する以上,もっとも適切な「特定の過去問」を用意したであろうけれど,他の文章にそれがあてはまる必然性は,全くないということです)

 もちろん,「傍線部(周辺)の指示語に注目すべき」「逆接に注意」「対比を読み解く」のような,一般化が可能なテクニックもきちんと掲載されていますので,テクニック本に記載されていることを鵜呑みにするな,というわけではありません。
 しかし,そのような「一般化が可能な(それを受験生が適切に判断できるかも微妙なところではありますが)テクニック」はもはやテクニックというより,正確に文章を読むセオリーそのものであり,これがまた一朝一夕では使いこなせないというのが現実なのです。
 (実際には,そういうセオリーを制限時間内でなんとか使いこなさなければ高得点はとれないのですから,相当の訓練が必要ですよね。)
 そう考えると,センター現代文はこれだけでなんとかなる,とかそういう甘い香りのするテクニック本のみを直前に通読して,解ける気になる,と思ったら大けがをするでしょう。

 現代文の授業においては,毎回異なる文章を読んでもらい,設問の解説を行います。その解説の仕方は,講師によって様々ではありますし,本文全体を深く読解し,味わうような解説のスタイルもあると思います。
 高校2年くらいまでは,ある程度語彙力や教養をしっかり身につけることが骨太な国語力を育てるという信念がありますので,私も,なるべく本文を味わう時間も作っています。
 しかし,限られた講義時間のなかで,まずもって主眼に置くべきは,正確に文章を読むセオリーの運用能力(ときどきテクニック的なこと,しゃべりはします)をひたすら訓練していくこと。大手の予備校のように映像設備を駆使して授業が出来れば楽しいと思いますが(そこまで意欲的な講師の方は,いま,飛ぶ鳥落とす勢いのあの人くらいかな?私は大ファンなのですが),なかなか当塾規模だとリソースの限界もあるので,私は手前があらかじめ問題を検討し,いろいろメモを取った(草稿?キタナイ?)課題文をそのままメモのまま資料として配布し,生徒たちに一緒に色をつけたり線を引いたりしてもらいながら,できる限りその訓練のお手伝いをするようにしています。
 (なお,正確に文章を読めるようになってから,本文を味わったほうが理解も進みますし,短時間で味わえるようになるのも経験則としてあります。)

 結局のところ,テクニック本はその手助けにはなるかもしれないが,現代文,ひいては国語力の養成とは,「読むスピードをつける」「語彙を身につける」「読んで考える力を養う」ひいては,「正確に文章を読む」能力を時間をかけて粛々と磨く以外にない,と私は思うのです。

 直前期であたふたしている高校3年生たちにこのような論考を投げかけても,余計なお世話だし,何を今更といわれてしまうかもしれませんが,きっちり現代文の授業を受けてきてくれた受験生たちには,「浮気」しないでこれまで訓練したことを信じて臨んでほしい,というささやかな(いや,心からの)私の願いを,雑記にしてみました。(了)

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