東京大学(古文)入試問題分析
2014東大[文]古文
問題文は話を理解することに限れば易しい部類に入る。しかし設問は解答を作り上げる力を求める。総じて例年並だろう。
(1)
ア 訳さずとも意味がとれてしまうが,「気がはたらき過ぎる」はそのままでは現代語にならない。「気が利きすぎる」などに言い換えたほうがよい。
エ 「反古」は「むだ」の意。「がたし(かたし)」は「めったにない」などと訳すとよい。
カ 「ほかになし」をどうとるか。まず傍線部の後の部分のから「(物事を)しない」の意味を推測したい。品詞分解していくと「ほか(外)」は「よそ」,「なし」は形容詞ではなく四段動詞「成す」。よって「ほかになす」は「よそのことにする」から「ほったらかしにする」などととるとよい。
(2) 内容説明。「手まはしのかしこき」は「上手に手(工夫)を回す」ほどの意味。傍線部後の3つの文の内容から,(a)するべきことはやりつつも,(b)うまくお金を稼ぐ子はいる,この2つの要素をまとめるとよい。
(3) 「せちがしこき気」の意味をどうとるか。傍線部最初の「これら」とは「手まはしのかしこき子供」の具体的な振る舞いをさしている。であるからお金に対する賢さの形容であることは推測できる。よって「抜け目のない賢さ」とでもしておく。なお辞書的には「せち」は「世知なり(抜け目がない)」にかかわりがあると思われる。
すると傍線部は「これらの子どもはみな,それぞれの親の抜け目のない賢さ(せちがしこしき気)を見習ったもので,自然と本人の中から出てくる知恵ではない。」となる。つまり,手習いの師匠は子供のお金に対する抜け目のなさをよしとしていない。この問題文は,軸簾を思いついた子の親が自分の子のお金に対する抜け目なさを褒めているところから始まっているのだから,師匠は子供の抜け目のなさ褒める父をを戒めているとわかる。
(4) まず「この心」を確認。これは直前部にある,親の言いつけを守って手習いに励み後には兄弟子を抜いて達筆となった者の,ひとつのことに専心する心をさしている。この点がわかれば傍線直後に「その子細(詳しい事情)は」として理由がそのまま書かれているのでその部分を使えばよい。(1)エ,カがきちんととれているならば問題はない。
(5) 傍線部は「とにかく子どもの時は,花をむしったり,凧を揚げたりして,知恵がついてきたときに自分の身の処し方を決めることが,人として行うべきふつうのことである。」となる。前半部のとらえ方にやや迷うかもしれないが,先に後半部に目を向けると,知恵というのは成長すればいずれはつくものと読み取ることができる。また傍線部カの直後に,金もうけの知恵は子供の頃には必要ないとある。つまり前半部は,子どもの頃にすべきことの例を挙げているとわかる。よって「知恵がつくまでは子供らしく過ごすのがよい」という主張の骨組みができ上がる。