我が友よ五月はあまり夢多く(5月の受験エピソード)
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「我が友よ五月はあまり夢多く成らずといふか長崎の曲」吉井勇
執筆担当 赤星
これは,1900年初頭に,大正から昭和にかけて活躍した歌人,吉井勇が詠んだ歌です。明治書院による解説によれば,若い芸術家達の青春が花開いたいきいきと今に伝わる作品群の一首,とされます。(長崎の歌とは何か不詳のようですが,「長崎は今日も雨だった」でないのは間違いない。しかし,なにか心地よさを感じさせる歌だったのでしょう。長崎の五島出身の講師が喜びそうです。)
ゴールデンウィークも終わり,中間学年にあっては中間試験前,受験学年にとっては,部活の総決算の子もいて,実に活気に満ちた教室内となっています。ついこないだまで中3の教室で高校受験に向けてがんばっていた生徒達も,すっかり高校生らしくなって,高校初の中間試験に向けて授業日以外でも自習室で受験生達に交じって勉強にいそしむ姿が見えるようになりました。引退を間近に,目一杯部活をやったあと,午後8時に自習室にやってきて,パンを頬張りながら閉館まで勉強をして帰る高3の生徒もいて,胸が打たれる思いもあります。
各学年ともに,皆が活気に満ちた季節を存分に充実させていることが素直にうれしく,また,それに比例して,我々スタッフも活気づいて例年になく,といったら語弊はありますが,大変雰囲気がよい。手前味噌といっては失礼なほどに,講師陣,生徒達が輝いていて,嗚呼西荻塾よ,と目を細め・・・る間もなく,授業に出ずっぱりの毎日を過ごしております。
失礼を承知の上で,「五月はあまり夢多く」とはあまりによく詠んだものです。
受験学年は,模試も始まりました。志望校を夢をいうのは違うけれども,志望校の先に生徒達の夢が確かにあるはずで,いま,生徒達がおのおのの志望校を見据え,友達とともに目の前の課題を一つ一つ乗り越えていく,そりゃまさに夢多き日々に他ならないのではないかと。
ところで,当塾の講師陣と談笑していると,ついつい受験談義になることが多く,受験生時代を振り返ってみてもらうわけですが,彼らはこの5月をどうすごしていたのでしょうか。受験生の先輩の貴重な意見,聞かないわけにはいかないですよね。和歌にアレンジしてもいいのですが,授業5つのあとは,ちょっといつ寝落ちするかわからないので,普通に要約解釈コメントします。
「3日間で,終わらせると決めて,1対1をとにかく解きあげた。」
1対1とは,「大学への数学 1対1の対応演習」です。理系で,数3に追われて,なかなかこの時期手薄になりがちな,数学IIBまでの分野について,模試を受けて大いに危機感をもって,やり遂げたそうです。なるほど,鉄の決意とそれをやり遂げる姿勢ですね。なかなか完遂できるものではないと思います。荒療治ともいえる側面はありますが,5月ならではの治療ではないかと。受験生に5月病というものはありません。一心不乱に解いて,腑に落ちさせて,解いていく。こういう強さを是非生徒の皆さんも持ち合わせてほしい。
「ずっと,世界史の講義音声を聞いて移動していた。」
日本史・世界史の(私の経験上)最強コンビで受験をした人です。いや,地理が,というつもりはないですが,それをさておいても結構この2科目を極めるのは時間がかかります。高3ともなれば,近現代の架橋の時期,模試でやはり古代から中世の甘さを痛感してのことだそうで。継続は力なりとはいいますが,ほんとに,一歩一歩目標に向けて地道に努力を重ねた軌跡に,ただ頷くしかありません。
「歩きながらでも,勉強はできる」
秀逸奇抜なちょっとかわいい化学の小テストを作ることで有名な先生。普段の物言いは極めて温厚なのですが,徹底して全科目に渡り,努力を積み重ねてきた経験は,妥協をさせないときに見せる厳しさに確かな指導力を・・・おっと講師紹介ではないわけですが,皆が同意します。浪人が決まって,予備校のない田舎で,自分で勉強をしたこの先生の努力は,ちょっと涙ぐましい。私も,受験生時代を振り返れば,確かに,ときに麻雀(お金をかけない「健康マージャン」ってお店です)やカラオケで友達と遊ぶこともありましたが,自慢でもなんでもなく,やるときはやる。トイレにたくさん世界史の文化史の切り抜きや,長文でひっかかった単語を張りまくっていました。乗っかって,「トイレでも,勉強はできます。」蛍の光窓の雪。わずかな時間でも,隙なく妥協なく。夜,寮生だった私は,懐中電灯使って勉強したことがあります(嘘ではありません)。歩きながら事故にあうこともあるので,その先生や私のように田舎生まれであればさておき,杉並区では,世界史の講義音声を聞くなどの手法をおすすめしておきます。
「(無機化学)沈殿物から声がする。」
サンドウィッチマンの「なにいってんのかわかんないです」バリに,周りにいた化学経験者が全員吹き出してしまいました。この発言の文脈は,無機化学の暗記は一山あるという談義のなかで発せられました。当塾の無機化学の女神の発言ですが,私も化学の世界はあまり口多く話すほどやったことはないのですが,無機化学の暗記には,皆さん四苦八苦しています。そこで,この先生曰く,「いや,ここで沈殿したいの・・・って声が聞こえる」その言葉の背後にあるのは,闇雲な暗記ではなく,正確な理解を築き上げてできあがった体系でしょう。理解を伴わせた暗記ほど強いものはない。もはや暗記ではない。この季節にきっちりと積み上げた成果であろうと思います。七大選帝侯,化政文化,古代ギリシア文化・・・理解?苦労しましたね。
「俺は英語ができない。」(真摯なため息をつきながら)
浪人で迎えた5月。マーク模試が終わってからのこと。一緒の塾で浪人していた高校時代の友達に,そうとう怒られたそうです。5月のマーク模試のセンターの英語の点数は,192/200。友達と自己採点をして,自己採点結果を見て,そう心の声が出たそうです。誰が聞いてもイヤミですが,彼の心の声は,実は,4月,5月に,徹底した現役時代の敗因分析から,二次試験の英語にその原因があることを痛感していたところからあるそうです。自分の敵は,最後の勝負を決する二次試験にある。二次試験の英語が本当にできなくて,心から苦しんでいたそうです。ですから,心の声が漏れた,というところでしょうか。このエピソード,あまり人に語りたくなかったようですが,私は,徹底した自己分析から生まれた真摯なものと考えます。そこから志望校の英語を10年分全部解きあげて,英文法書を一冊短期間で読み上げたそうです。周りに流されないで,確固たる自己分析に基づいて客観視して,努力する厳しさを経験してほしいと思います。たしかに,センター試験の英語は,受験英語の手前にある,きちんと努力をしてとれるようにならなければならないと,私は思います。
「センターの数学は,考えたら負けです」
数学と物理の自信はすごい。しかし,彼が塾に持ってきてくれたチャート式(黄色です)は,手垢にまみれ,ぼろぼろでした。何回繰り返したかわからないそうです。センター試験の数学は,時間不足とは努力不足であると言い切る彼ですが,彼が後生大事にしているチャート式を見ると,その言葉がぐっと重みを持ちます。この4,5月にそうやって過ごしてきたからこそ,そして,考えたら負けというそれこそ常人離れしたようなコメントですが,そうやって力をつけてきたんだと思います。何も背伸びする必要もなければ,特殊なテクニックに頼る必要もない。絶対に君たちの机の上に,そういうツールがあるはずです。真摯にパートナーシップを結んでほしいと思います。
「いや,東京に行く。」
「そがんしてまで東京に行かんでよかろ?」と母親に言われたときに,返した言葉だそうです。いつの時代の話かと杉並区近辺の方はお思いでしょう。生徒達には実感がないですよね。地方と東京というのは区別ではなく,差別だ,とかいう論調もありますが,そんなことどうでもいいです。でも,本当に,地方に行けばその差はよくわかる。方言からもわかると思いますが,彼の出身地から東京に出て行くというのはちょっと普通じゃなかった(彼の出身町からだと,県知事と国会議員と父の友人くらいじゃないか?)。そういうところ,たくさんまだあるのです。中学校のとき,家が近くて毎日一緒に登下校し,寄り道してラーメンを間食し,将棋をしては,毎日負ける親友がいたそうです(マージャンでは負けなかったそうです)。その友達は,優等生でスポーツもできる。しかし,とにかくウマはあっていたそうで仲良くしていました。一度たりとも成績で勝ったことはなかったそうですし,彼は勉強より釣りとパソコンにいそしんでいたそうです。
そんな中で,友達は,高校受験で県立トップ校に合格,彼は,不合格。高校時代は別となったわけです。そんなとき,友達はいつになく真剣な顔で彼にこう語りかけました。「高校のとき頑張れば人生変わるけん,また3年たったら会おう」中学生が大学のことなんかわかるわけもないし,当時は実感もてなかったそうですが,実は,その友達の勧めで受けた県外の私立校に補欠でなんとか滑り込んで,強烈な寮生活がはじまります。やらされないと,しない彼は,超厳しい環境の中で,やらされることになったのです。少し,大学というものが見えてきた。「ふーん,俺も先輩達みたいに東京行ってみっかねえ」。3年間,なかなか帰宅できず,その友達と会うことはなかったそうですし,当時は携帯もラインも普及していません。そんな中で,高2の中だるみを満喫したため,彼はめでたく浪人相成りました。そして,5月。彼は偶然友達と変わった再会を果たすのです。模試で,自信を持っていた数学の上位者リストの上から3番目に,友達の名前。偏差値92。驚くと同時に,完膚なきまで負けましたし,何より,こういう形で再会するとは。「おー,あいつも浪人したとか。同じこと考えとる(笑)(笑)」第一声はそうだったそうですが,ふと思い出した別れ際の言葉。もちろん,モチベーションは,それだけじゃないですが,上記の先生方に負けないくらいは努力をしたそうです。
1年後の5月,大学のキャンパスで,サークルのミニコミ誌を街販(あおりの文句で正門前で売る作業)していたとき,「よう,赤星!なんばしよっとや!?(何してるんだ)」懐かしかったですね。昔から,いつも,かけ声はそうでした。
最後くらい,エピソードは執筆者のことでもいいでしょう。美談ですか?美談です。でもね,形も環境も違えども,こうやっていられた友達の存在は大きいと思います。塾で見つかるでしょうか。
ほかにも,たくさんのエピソードを講師のみなさんから大募集しています。書いていてなんですが,「若い受験生達の青春が花開いたいきいきと今に伝わる」夢多き五月であります。次は,夏前を振り返ってみましょうか。