タラレバ受験生にならぬよう(夏の応援文)

毎年,夏を迎えて思うに,「夏を征する者は受験を征する」という命題があまりにも様々な塾・予備校で幾度と唱えられることで,いささか陳腐なものとなって受験生たちに響かなくなっているのではないかということです。

常にこの命題が真であるということはできませんが,仮説としては有意です。受験で栄冠を勝ち取ったものは,ほぼ全員が,「夏休みに志望校が射程に入った」からこそ秋冬が充実し,合格につながったと口をそろえていいます。よほどの特殊な事情や才能があるのなら格別,普通は夏をどう過ごすか,一大行事であるというのが世の常でしょう。

さて,先輩たちは,夏休みをどのように征してきたのでしょう。
単に「征する」といっても,どう征したのか?何をもって征したというのか?その中身が問題です。

  • 夏期講習を忙しいくらいに受講して,とりあえずそれをこなし,充実したような気になって夏を「征した」。
  • 自習室に毎日通ったから,「夏を征した」。

どうも,割とこんな人がたくさんいるように思います。前者は,いちばんまずいパターンですが,後者のパターンも,私が受験生のときからたくさん見てきました。武勇伝のように,毎日の自習室がよいを語るのです。

西荻塾でも,自習室は無休で運用しており,朝から晩まで張り付いてもらって構いません。しかし,問題なのは,夏期講習を受講して,自習室に通って,きみは何を得たのか,です。

合格した先輩たちは,
「夏休みに,たくさん夏期講習を受講したから合格した」
「夏休みに,自習室に毎日通ったから合格した」
それどころか,
「夏休みに,志望校に合格できるレベルに到達したから合格した」
誰もそんなことは言わない。

そうではなくて,
「『夏休みに志望校が射程に入った』からこそ秋冬が充実し,合格につながった」
といいます。

ちゃんと夏休み→秋冬→受験本番という流れができているんですね。「夏を征する者は・・」と聞くと,秋冬はあたかもないかのように見えますが,そんなはずはありません。

端的に言えば,夏休みに,秋冬にもっとも効果的に志望校に向かうための準備をする,ということが「志望校を射程に入れる」ということであり,それこそ夏休みにしかできない。

秋冬はいよいよ臨戦態勢となりますが,そこで,「ああ,今からやっぱこの問題集に変えようかな」「さて,今から地理を詰め込む」「夏にやらなかったセンターの古典を詰め込む」とか言っている人,申し訳ないけれど,経験則上,厳しいです。

秋冬はもっとも受験に近い時期。とすれば,勝つためにやれることを集中してやる,深く深く志望校対策を掘り下げていくべきであるのに,掘り下げるどころかスコップを選んでいる段階では,掘り下げる前に受験は終わってしまうでしょう。

君たちは,きっと夏休みの直前まで,いろいろ試行錯誤して受験勉強をしてきたはずです。受験勉強だけではなく,学校のイベントにも熱を入れ,高校生としての生活も過ごしてきました。

いま,学校が長期休みになる夏休み,君たちは,その混沌とした身の回りを一度整理しなければなりません。無駄な勉強などないのが真理ではありますが,志望校対策としてはちょっと遠回りなことはある。もっと効果的な方法がある。
そのために,「まだ範囲が全部終わっていない科目がある」,「自分のノートがばらばらになっていてどこが入試で役に立つか混沌としている」,「最後までともに歩む問題集が定まらない」,「志望校がまだはっきりしない」・・・・そんな混沌な状況を整理してください。そして,秋冬,確かな足どりで志望校へ向けて着々と歩む自分をイメージしてください。

9月には,「私の志望校は●●です。科目は,××と●○で,それぞれ,・・・のように対策をし,最終的に@@というように点をとって合格する予定です」と1分で述べられる受験生になってください。それができれば,志望校は射程に入ったといえるでしょう。

仮に,まだ未完・未習の部分(分野)があるのであれば,夏のうちに一通り触れなければアウトです。3日間,めいっぱい詰め込んでもかまわない。まとまった時間がとれるのはもう,夏だけです。

夏期講習は,そのリズムの一つ。また,西荻塾で過ごしてもらう自習室での時間も,その中にうまく組み込んでいただきたいと思います。

東京タラレバ娘という毎号楽しみにしていた漫画がついに完結しました。内容はさておき,

「●●たら,××だったのに」

「××であれば,●●だったなあ」

というタラレバな夏にならないよう,この夏があった「から」こそという充実した夏を。