京都大学(英語)入試問題分析及び解答例

京都大学(英文和訳)入試問題分析及び解答例

当塾鈴木講師による京都大学の入試問題分析と和訳例を掲載します。京大受験生は必見です。

論説が2題でエッセイはなし。学者を輩出することを目的の一つにしている大学だけに,学問をする際の姿勢について述べられた文章は頻出。2題ともそれに類する文章で,論説を読み慣れている生徒は,次の展開が予想し易かったのではないか。
過去のエッセイでしばしばあったように,場面設定を読み取ることがそもそも難しいといったことはないため,受験者はほぼそれなりの解答を書けたものと思う。問題は細かいところまで神経を行き届かせることができたかであり,本文全体の文脈をしっかりつかんでから解答しているかどうかである。しっかり内容を把握した上で書かれた解答には,解答そのものに力と勢いがあり,それは読み手にはっきりと伝わってしまう。普段の学習から,自分の解答が合格の基準のどこに満たないのかを確認しながら勉強を進めていく必要があるが,単なる直訳を本文全体の主旨をふまえた上での意訳にどのように高めていくかがポイントとなるだろう。

問題Ⅰ(英文和訳)
京大の問題としては標準かやや難しい文章であった。傍線部は単語,熟語,構文ともレベルが高い上,筆者の意図しているところをつかむのが容易ではない。ただし,文章全体の流れは比較的とり易く,科学者の態度を引き合いに出しながら,哲学者の役割が何であるのかをつかんでから個々の問いにあたっていけば対処できたであろう。筆者のはっきりとした強い主張をくみ取り,個々の文のつながりが自然になる訳文を心がけたい。

(1) 1文目 cheerfully 筆者の意図をくみ取って訳したい。
・do so = cheerfully ignore philosophy
・at their own risk「自分の責任において」
2文目 justの前にthere isが省略されている。

(2) 1文目 not that ~「だからといって~というわけではない」the old mistakes はmake とdefend の目的語。

1文目と2文目のつながりを読み取るのが難しい。「難しい問いに取り組んでくるのだから間違えることもある」という内容。

(3) 1文目 disciplines 専門(分野),学科~この意味で使う例は過去問にも頻出。この単語を誤訳してしまうと全体の意味が大変不明確な訳になってしまう。単語には,京大で問われ易い意味がある。特に学問関係の単語には注意が必要

2文目 set ~ off on the wrong foot 表現を知らなくても,具体的に想像して切り抜けてほしい。

3文目 this is a job for philosophers! 直訳するのではなく,わかり易く筆者の気持ちをくみ取って訳をつくりたい。

問題Ⅱ(英文和訳)

対比関係と主張がはっきりしており,それが下線訳にもなっている。本文の流れを追っていれば大きな誤訳は生まれにくい問題であったのではないか。京大の問題としては標準的。構文を正確にとった上で,読み手がはっきり言いたいことがつかめる日本語になっていたかどうかがポイント。わかり易い文章であっただけに,細かな部分の訳がこなれているかどうか,注意を払えていたかどうかで差がつくものと思われる。

(1) 1文目address (心・注意・精力などを) (~に)注ぐ,向ける
2文目existing mathematics と new mathematicsが対になっていることを見抜けば,易しかったであろう。

(2) 1文目 for lack of ~「~の不足のために」がwhat節の中に挿入されている。

3文目 not A but B をつかみ,step by step logic と sudden, wild leapsが対になるよう意味をとる。

(3) 1文目 unless以下は条件部分。itはa difficult problemを指す。「その問題が属している分野と,関連が一見なさそうな分野の両方に精通していない限り」という内容。
・just in case they are (related)  relatedの省略を見抜く。

2文目 all you do is ~ 「することが~だけなら,~するだけなら」

講師作成解答例

問題Ⅰ

(1) そういうわけで,私たちは哲学の歴史を学生たちに教えており,おめでたくも[無思慮にも]哲学を無視している科学者は,自分の責任において無視していることになる。哲学のない科学などというものは存在しない。ただ根底にある前提を考慮しないで行われてきた科学が存在するだけだ。

(2) だからといって専門の哲学者が過去の人々がしてきた間違いを繰り返すこともないとか,その間違えを正当なものだとして擁護することさえもないなどと言っているわけではない。(間違えたり,間違えを擁護したりしてしまうのは,問いが難しいからであり,)もし問いが難しいものでなければ哲学者はそれに取り組む価値がないであろう。

(3) 他の専門分野では定められた問いに対して正しい解答を得ることを専門としているのに対して,私たち哲学者は,解答は言うに及ばず,そもそも何が正しい問いなのかさえあまりに混み入っているために誰もはっきりと確信できないような,ありとあらゆる方法についての専門家である。間違った問いをたてていると,いかなる研究も出足のところから間違ってしまう危険を冒すことになってしまう。そのようなことが起きる時はいつでも,哲学者の出番なのだ。

問題Ⅱ

(1) 研究では,学部生の数学を教えることに焦点を当てているものもあるが,それらは比較的少数である。既存の数学を習ったり教えたりすることと新しい数学を生み出すのとでは,大変な違いがある。

(2) 非常にはっきりと現れたのは,より適切な用語が見当たらないため,直観(力)とでも呼ばざるを得ないようなものの決定的に重要な役割であった。意識下のある特質が彼ら一流の数学者の思考を導いていたのだ。彼らの最も創造的な洞察(力)は段階を追った論理ではなく,突然の自由奔放な飛躍によってもたらされていたのだ。

(3) 一方では,関係がある場合に備えて,関係があるかもしれないし,ないかもしれない多くの他の分野に精通するのとともに,その難しい問題が属しているように思える分野に精通していない限り,その問題を解決できない。また他方では,もし行っていることがすでに他の人が試してみて成果のなかった標準的な方法にとらわれてしまっているだけなら,思考がぬかるみにはまり込んでしまって,新しいことは何も発見できなくなってしまうだろう。