上位校は「国語」で決まる
文責:赤星(国語・数学担当)
おことわりしておきますが,当塾は全科目を大事にする塾ですので,「国語塾」ではありません。
ただし,いわゆる難関大学といわれるレベルを志望する塾生たちも多数在籍していますので,この際,現代文の講師として,また,数学科の講師として,思うことを述べておきたいと思います。
「国語で点が取れることと,上位校に合格することには,強い正の相関がある。」
いまでも,
「英語が受験の勝敗を左右する」
と言われることがあります。かつて,90年台頃までは,それを全面に押し出す英語専門塾も多数ありました。いや,まことに「その通り」であります。英語の点数が理系,文系問わず合否を左右することは間違いのない事実,当塾でも,英語はしっかりと教え込みます。
ただ,誤解している人がいます。
「英語『さえ』できればいい」
受験生の間でちらほらと聞こえてくる残念フレーズの1つです。
さらに,もう一つ,聞いたことがありそうなフレーズをどうぞ。
「国際社会においては,語学能力に長けたグローバルな人材こそが必要とされる・・・」
やはり,こちらも誤解している人が多いと思われます。
「やっぱり『語学』さえできればいいのか」
これは,受験生に限った話ではないですが,やはり残念フレーズです。
回りくどいのは文章を読む方も,書く方も面倒くさいので,ズバリいいますが,
「英語さえ,語学さえとは誰も言っていない」
いわゆるMARCHの英語長文の日本語訳を読んでみてください。
その後,早稲田や慶応,難関国立大の英語長文問題の日本語訳を読んでみてください。
前者であってもさることならがら,いわゆる難関大学の英語の文章は,日本語訳を読んでも,国語力に加え,一定程度の教養を要求してきます(もっとも,あえて厳しい言い方をすれば,日頃ニュースや新聞に接している者からすれば常識の範疇に入るレベルにすぎません)。
ここで,仮に訳文を読んで,何を言っているのかわからないような基本的な「国語の読解力」,「日本語の語彙」が習得できていない者は入学資格において想定にないことがわかると思います。
ちょっと,ここで脱線します。
いわゆる「自由英作文」を課す大学が増えてきました。難関国立大ではあたりまえのように出題されます。
かつて,東大受験をテーマとした漫画がドラマ化され話題になったことがありましたが,そこでは,「東大の英作文は,簡単だ。東大は,減点法で採点をしているから,中学校1年生のレベルの英文を使って,とにかくミスのない英文を作れ。」と言われていました。
ドラマ全体を通せば,もっともなことを言っているところも十分あって,おもしろく拝見させていただいていたのですが,上記自由英作文についてだけはおそらく(演出の都合上ということを恐れず言えば)東大が受験生に要求しているところではないと思われます。
そもそも,筆者が実際に東大で仕入れた情報によれば,確かに,ミスによる減点はあるが,やたらミス無し至上主義といわんばかりに強調されるほどの比重はないと思われます。
(テレビでは,「英文法ミス1個で1点減点,5点の問題で5個間違ったら0点」とか言っていましたが,これは,私が東大在学中にリサーチした確かな筋からの情報により,完全な誤りであると断言しておきます(どのような採点がとられているかの情報は入ってきていますが,それによってなにか秘策と呼べるようなテクニックうまれるわけではないし,結局は,良い英作を書く能力を身につけた者が高得点を取るということです)。あえて言っておけば,内容点に準ずるものは(結構な比重で)必ずあるし,あまり機械的な採点にはなっていないが,採点者間でばらつきがなくなる工夫はされている,ということです。
この点は,さておくとして,もちろん,文法的に誤りのない英文を作ることも採点基準の一つにはなっているでしょう。しかし,英語とて言語です。何か,メッセージ性のあるものを表現する能力こそが言語力の根幹と考えれば,英語における表現能力こそ自由英作文で試されているのではないかと思われます。ここに当然,採点の比重は重く置かれていると解すべきでしょう。
そうすると,中学校1年生レベルの英語で,確かに日常会話程度なら可能でしょう。しかし,以下の問題に中学1年生レベルの英語(これはテレビの演出上と善意解釈した上で,中学生レベルの英語と考えたとしても)で記述することが可能でしょうか?
たとえば,2003年の東大の自由英作文では,
「アマチュアスポーツチームの監督の訓話(注:摘示略)を読んだ上で,「雨降って地固まる」という文章中の表現について,字義どおりにはどういう意味か,ことわざとしては一般的にどのような意味で用いられているか,さらにこの特定の文脈の中でどのような状況を言い表しているかの3点を盛り込んだ形で60語程度の英語で説明せよ。」
ほかに,90年代の九州大学の問題では,
「18才以上に選挙権を与えるべきかどうか,100語程度の英語で論じなさい。」
大阪大学では,
「人と良い関係を築くために必要なことは何だと考えますか。そう考える根拠は何ですか。あなた自身の経験やエピソードを具体的に示しつつ,200語程度の英文で表しなさい。」
上記大阪大の問題は,日本語200字程度で作文を書かせても,巧拙ありそうですね。
では,上記大阪大を例にとってみて,2通りの受験生がいたとしましょう。
ア)中身を伴った内容になっているが,若干英文法ミスがある。
イ)ミスはないが,中身がスカスカ。
どちらが,将来有望ですかね。皆さん,考えてください。
いやいや,イ)のタイプの生徒だって,別に中身を考えられないわけじゃないんだ。ミスのないことに気を配ったらそうなっただけだ。という反論も上記テレビの監修者からは飛んできそうです。
しかし,受験生は,答案ペラ一枚を通じて大学に自らの能力をアピールせざるを得ないわけで,採点者が「こいつ,表現力(英語力)ないなあ。もしくは,薄っぺらい受験生なのかも。」と疑問を感じたとして,それを反論する機会はない。
繰り返し言いますが,中身があるのに,ミスがいくつかあるから低得点になるとは限らない。むしろ,中身に相当の比重が置かれています。とすれば,最初から,ア)で受かるように精進すべきです。
少し,脱線が長くなりました。
要は,英語の試験であっても,その背景にあるのはあなたの国語力です。日本語でものを考える環境に生きている以上,あなたの発想はまず,原則として,日本語に支えられています。それが薄弱であれば,上記英作文の例ではないですが,どんなに実用英語ができたとしても,難関大学においては,少なくとも「点のとれる」答案は難しいでしょう。
これは英語に限ったことではありません。
国語力とは,あなたが知的作業を行う根幹をなすものである以上,上位校に相応しい知的作業を行う基礎学力を図る入試において,国語の問題が解ける以前に,一定の国語力は当然の前提であるといえるでしょう。その意味で,国語力と上位校合格には強い正の相関がある,といったのは,当然の理であります。